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開店5周年に思うこと

石臼碾き手打そば百日紅2代目は

今日、開店5周年を迎えました。


時の過ぎるのは早いものです。

先代細野さんから引き継いで不安なスタートを切ったのが

まるで昨日のよう。


おいしい蕎麦を作りたい。

先代の蕎麦を引き継ぎつつも、

2代目独自のものを作りたい。

ただそのことを考えながら、

女将と二人でひたすら走り続けた5年間でした。


各年色々なドラマがありました。

この5年目にもありました。

うれしいことも、そうでないことも。

新メニューを出しました。

お客様のクレームも受けました。

新しい友ができ、

そして、出会えたばかりのライバルを失いました。


最近になってようやく実感できたことが2つあります。

まず、蕎麦屋は周りに支えてくれる人がいてこそできるものだということ。

材料がなければものはつくれません。

ソバ(うちでは主に丸抜きですが)、打ち粉、割り粉

それに水がなければ、蕎麦は打てません。

つゆの材料がなければ、つゆは作れないし、

種物に使う食材がなければ、

多彩なメニューはできません。

これらのものを作る人たちがいて蕎麦の材料が揃います。

そして、この材料を店へ届けてくれる運送屋さんもいます。

材料を発注するには生産者との通信手段が必要。

これを担う業者さんもいます。

まだまだ挙げればきりがない。

そして、その蕎麦を食べに来てくれるお客様。

これらの方たちがいてこそ、はじめて蕎麦屋が成り立つ。

このことを実感できるまでに5年を要しました。


2つめは、ようやく自分の目指す蕎麦が見えてきたこと。

今までも、現在も、理想とするのは先代の蕎麦であることに変わりはありません。

でも、それに近づくことはできても、全く同じものは作れない。

同じように、もし私の蕎麦を大変気に入ってくれた人がいたとして、

私の蕎麦を真似しようとしても、全く同じものは作れないでしょう。

打つ人が違うのだから、どうしてもその人の個性がでてしまう。

そう考えるようになってから、私は肩の力を少し抜いて、

やや加水も多めにして蕎麦を打つようにしています。


明日から6年目の営業に入ります。

百日紅2代目を、今後ともよろしくお願いします。



石臼碾き手打そば 「 百日紅 」


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母のこと

母が逝った。

心臓に持病があり、腎臓機能も低下していた。
医者から、いつ死んでも不思議ではない状態と言われて何年たっただろう。

和裁の内職で父を支えながら姉と私を育て上げた母。
5年前に父を送った後、デイサービスの行事に参加するのを唯一の楽しみとしていた。

私が体を壊して、サラリーマンをやめて蕎麦屋になると言ったとき、
普段は比較的優しい母が猛反対した。
でもその後一度だけ、はるばる新潟からそばを食べに来てくれた。
満足してくれたのか帰宅後、
「またたべいごれや」(また蕎麦を食べにいこうね)と言ったらしい。

その母が今年の正月明け、倒れた。

2度目に見舞った先週2月17日、
店でそばを打つ私の写真をスマホで見せると、かすかに微笑んで、
「またたべいごれや」

ベッドの両側に付き添う姉と私を見て、
「オレは、幸せらわ...」
そう言ってもらえた私も幸せ。

帰り際には、
「そんげちょこちょここねでもいいてば」(そんなに頻繁に来る必要は無いよ)

それが、母から聞いた最後のことばになってしまった。

ここまで書いて、涙がでてきた。
親父のときは、なんともなかったのに。

享年96歳、大往生と周りはいう。
でも、やはり悲しい。

あるじなき 朝の炬燵に足入れて その冷たさに 母無きを知る




初めての持ち帰り年越し蕎麦を終えて - 感想と反省

大晦日、夕方5時過ぎにみえた最後のお客様に年越そばを手渡して

平成26年最終日の営業を終えた。

2代目百日紅の開店以来4年目にして初めての 「持ち帰り年越そば」。

昨年の年初めに立てた目標のうちのひとつだ。


最初なのだから、まあこんなものなのかな、というのがやり終えた感想。

大きな失敗はなかったと思う。ただ、以下の点には対策が必要だ。


1 そばは完全予約制とし、食数の上限を低く設定したが、

予約件数は想定の3分の2にとどまった。

その一方で、大晦日当日に予約の可否の問い合わせや、

注文の電話が多く寄せられたこと。


2 会計をするお客様と持ち帰り蕎麦を受け取るお客様、

それにレジ前で空席待ちのお客様が重なって、業務に支障となったこと。


3 予約したにもかかわらず受け取りにみえず連絡がとれなかった事例があったこと。



良かったと思えるのは、いままで年越そばを躊躇していた以下の3点の心配を乗り越えられたことだ。


1 お客様が持ち帰ったそばを自宅でうまく茹でられず、

茹で切れや火力不足による「生茹で」状態になってしまい、

百日紅の蕎麦は美味しくないとの印象を持たれてしまうのではないか

という懸念があった。

これについては先代のアドバイスもあり、茹で方のレシピを蕎麦と一緒に渡した。

茹で切れについては、数回にわたりお手伝いさんに自宅で茹でて試してもらい、

大丈夫との確信が持てた。


2 切り幅が不揃いのそばをお客様に見られたくなかった。

これは店主の技術の問題。年末までに技術を高めるよう自分を追い込むことで改善。


3 体力の不安

体への負担を少しでも減らすため完全予約制とし、食数の上限を低く設定した。

店主のそば打ちについては、その一部を先代百日紅に手伝ってもらい解決。


今年の年末はこの経験を踏まえて、また年越蕎麦をやるぞ!


新年は 1月8日(木) より 営業 いたします

石臼碾き手打そば 「 百日紅 」





年末のBGM ベートーベン交響曲第9番「合唱」

早いもので平成26年も残すところあと一週間となりました。

年末といえば「第9」が定番ですね。

百日紅のBGMもこれに倣います。


演奏は、昨年までのフルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団ではなく、

ワインガルトナー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のものを使います。

このソースは1936年の録音、もちろんSPレコードです。

全曲の演奏時間が1時間半に及ぶためレコードの枚数が膨大で、8枚16面あります。


指揮者フェリックス・ワインガルトナーは1862年オーストリアに生まれ、

当初は作曲家を目指しましたが、経済的安定を考えて指揮者に転向しました。

ベートーベンの作品に造詣が深く、作曲者が意図した演奏の再現を追求した人でした。

彼が活躍した19世紀末から20世紀前半にかけての時代は、

レコードが誕生し発展し始めた時期でもありました。

録音技術がまだ稚拙であるがゆえに多くの著名な演奏家がレコード録音をためらうなか、

ワインガルトナーはベートーベンの交響曲の録音に挑み、

全9曲の録音を成し遂げた最初の指揮者となったのです。

第9の録音は1926年にも行っていますが、

このときの第4楽章の歌は英語版だったそうです。

残念ながら私はまだ聞いたことがありません。

なお、1937年(昭和13年)には来日して、当時のNHK交響楽団を指揮しています。



今回使うレコードは国内プレスのものです。

30年近く前に池袋の中古レコード店で半ば打ち捨てられた状態にあったのを見つけ、

ただ同然の値段で手に入れました。オリジナルアルバムに収まった8枚のレコードは、

それなりの経年変化はあったものの、磨いてみたら盤面はきれいになりました。



No9.jpg



アルバムを開くと表紙の裏側に書き込みがありました。



昭和十七年九月二日於日本楽器

東京帝大入學記念〇〇〇〇氏ヨリ



昭和十七年九月といえば、太平洋戦争開戦から半年が経過し、

日本軍の勢いに翳りが見え始めた頃です。

この1年後には大学生等の学徒動員が始まり、

多くの学生が学業を離れて戦地に赴きました。

そしてその大半が戦死したことは周知の通りです。

レコードの状態が良かったということは、

所有者がほとんど針を下ろしていなかったということ。

彼がその後どのような運命をたどったのか …。

そう思うと、いたたまれない気持ちになります。



石臼碾き手打そば 「 百日紅 」



カウント・ベイシーと日航機墜落事故

8月12日がまためぐってきた。
29年前のこの日、日航ジャンボ機墜落事故が起きた。
夕食後、家族でこの事故の特集番組を見ていたら
無性にカウント・ベイシーの 「ワン・オクロック・ジャンプ」 が聴きたくなった。


カウント・ベイシーは周知のように、デューク・エリントン、グレン・ミラー等と並ぶ
偉大なジャズのビッグバンドリーダーである。
「ワン・オクロック・ジャンプ」はこの人の率いるバンドの代表曲のひとつだ。
そしてこの曲は、私が初めて買ったジャズのレコードでもある。
私はそれまでジャズに全く興味はなかったが、
愛読していたオーディオ季刊誌 「ステレオサウンド」 の常連評論家の文章に
カウント・ベイシーの名が頻繁に出てくるので、そのうち一度聴いてみようと思っていた。


昭和60年8月12日、仕事を終えた私は、同僚一人と職場近くの居酒屋で軽く一杯やった後、
ふと思い立って神田神保町のレコード店に寄った。
このとき買ったのが 「ワン・オクロック・ジャンプ」 のLPだったのである。


      image



午後7時、レコードを小脇に抱えて帰宅すると、玄関口に出てきた妻が、
旅客機が行方不明になったようだ、といった。
その時点ではまだ、墜落したかどうかは不明とされていたが、
翌日未明になって御巣鷹山頂付近で航空機の残骸と立ち上る煙が確認された。
当初乗員乗客524名全員絶望とされたが、幸いにも4名の生存が確認された。
しかし、520名は犠牲となった。
歌手の坂本九さんも犠牲となった。
さらに、後で知ったことだが、私の同僚の一人も帰省のためこの便を利用する予定だったところ、
急な仕事が入ったためキャンセルして命拾いした。
このことでこの惨事がより身近に感じられ、戦慄を覚えたのを記憶している。


ジャズのレコードの枚数はその後現在に至るまでそれほど増えてはいないし、
ジャズのレコードがターンテーブルにのる頻度もそう高くはない。
が、しかし無性にジャズが聴きたくなるときがたまにある。
そんなときにはこのレコードを取り出すことが多い。
そしてレコードのジャケットを見ると、この悲しい事故を思い出してしまう。


翌13日は旧盆。
520名の犠牲者に改めて、合掌。


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プロフィール

二代目「百日紅」

Author:二代目「百日紅」
埼玉県日高市にある石臼碾き手打ちそば屋「百日紅」の二代目店主です。そばの話、趣味の話、小さな旅の話、そしてヒトやモノとの出会い。
日々、感じたことをつぶやきます。

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