≫2011年08月

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松田選手の死に思う

サッカーの元全日本代表、松田直樹選手が34歳の若さで亡くなりました。
死因は、急性心筋梗塞。

この訃報に接した私は、とても他人事とは思えませんでした。
私も心臓病を患っているからです。松田選手の命を奪ったのは心筋梗塞ですが、
私が抱えているのは冠攣縮(かんれんしゅく)性狭心症。
心筋梗塞と狭心症、この2つの心臓疾患に共通しているのは、
冠動脈が何らかの原因で痙攣・狭窄又は閉塞をおこして、
心臓の働きに支障をきたすこと。一方、両者の違いは、
心筋梗塞は冠動脈が完全に塞がって血流が止まり心臓が停止するのに対し、
狭心症は血流が痙攣又は狭窄するが完全には塞がらないため、
心臓停止には至らないところにあります。

狭心症の発作は軽いものであれば数分で収まるので、
そのような発作があっても患者は狭心症とは気付かず、
医者にかからない人が多いようです。私も、そうでした。
ところが、顕著な発作が勤務中に起きたため、医師の診察を受け、発覚したのです。
重い狭心症の発作は心筋梗塞に移行して死ぬこともある、
とお医者の先生に脅かされました。
松田選手にも、以前から狭心症の発作がおきていたのではないでしょうか。
早くに医者に診てもらっていれば、今回の悲劇は避けることができたのではないか、
と思うといたたまれない気がします。

ディヌ・リパッティ、というピアニストがいます。
彼は20世紀最大の天才と称され、将来の活躍を期待された人ですが、
わずか33歳の若さで亡くなりました。彼が活躍できた期間は
1930年代中期から1950年まで。戦争と自身の病気のために
極めて短いものだったのですが、数少ない彼の演奏がレコードに残されています。
レコードで聴くリパッティの演奏は、一音一音が明確で清らか、
かつ力強くて澱みが全くありません。神々しさすら感じます。

「神のような精神をもった芸術家」と評されたリパッティは、
音楽に対してだけでなく、聴衆に対しても誠実でした。
既に自分の命が長くないと悟った彼は、自分の音楽を愛してくれる聴衆に
別れを告げるため、最後のリサイタルをフランス・ブザンソンで行うことにしました。
リサイタルが間近に迫った1950年9月、彼の病状はそれを許さない程に
進行していました。主治医は、命の保障はできないとしてリサイタルの中止を
何度も求めました。しかしリパッティはそれをきっぱりと拒否し、
リサイタルを決行したのです。その時彼はこう言ったといわれています。

- 僕は(聴衆と)約束をした。僕は弾かなければならない。-

松田選手とリパッティ、どちらも将来の一層の活躍を期待されつつも、
若くして亡くなりました。しかし、二人とも自分の歩んだ道に
後悔はしていないのではないでしょうか。

狭心症であることが判明し、私は昨年、公務員生活に終止符を打ちました。
理由は、蕎麦屋になりたかったから。
以前からそば打ちを趣味としていた私は、定年後は蕎麦屋になりたい、と
漠然と考えていました。しかし、狭心症になって、状況が変わりました。
将来、心筋梗塞を起こす危険性があります。心筋梗塞を起こせば、
命は助かっても日常生活に大きな支障が生じます。真剣に悩みました。
このまま公務員を続けて心筋梗塞を起こせば、定年後蕎麦屋どころではなくなる。
絶対後悔する。しかし、蕎麦屋をやっていて心筋梗塞を発症しても、
後悔はしない。たとえ命を落とすことになっても・・・。ならば、早い方がいい。
さっさと公務員を辞めて蕎麦屋になるしかない、そう決断しました。

その後、縁あって退職後半年で蕎麦屋になることができました。
まだまだ、日々修業の毎日ですが、充実した時を過ごしています。

松田選手の訃報に接し、このときの自分の選択はやはり正しかった、と
改めて思っています。

心より松田選手のご冥福をお祈りいたします。
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プロフィール

二代目「百日紅」

Author:二代目「百日紅」
埼玉県日高市にある石臼碾き手打ちそば屋「百日紅」の二代目店主です。そばの話、趣味の話、小さな旅の話、そしてヒトやモノとの出会い。
日々、感じたことをつぶやきます。

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